1945年8月23日は、旧ソビエトによる日本人強制拉致(シベリア抑留)が始まった日です。
90歳になる私の父は、敗戦直後、武装解除され、満州から極寒のシベリアに強制連行されました。

最強と言われた頼みの関東軍は南方戦線に移動しており、無抵抗のまま、訳もわからず歩かされ、貨車に乗せられ2週間。
ソ連兵に「トウキョウ ダモイ(東京へ帰る)」と言われて、皆が日本へ帰れると信じていましたが、貨車の隙間から見える太陽の位置がどうもおかしい。
向かっている方向が違う。
逆方向だと気づいたときにはもう海のようなバイカル湖の近くを走っていたと。
イルクーツクの近くのタイシェットというところの強制収容所に入れられ、シベリア鉄道の支線であるバーム鉄道の敷設工事に従事させられていました。

栄養不足と過労で多くの仲間が死んでいきました。

マイナス45度という想像を絶する寒さの中で、具のないスープと一日300gの黒パンのみで朝から晩まで、ひたすら木を伐り、運び、鉄道の枕木を敷いていたそうです。
カチカチに凍った土は作業を阻み、ガソリンを燃やして溶けたところを掘ったと。
19歳の青年であった父は、余りのひもじさに、木の皮を剥いで、中の柔らかいところをあぶって食べて飢えを凌いだと聞きました。
足先が凍傷になり、一時は切断の危機があったそうですが、一人の親切な女医さんが、わざわざモスクワまで行き、血清を取って来てくれたお陰で足は無事でした。
ロスケは嫌いだが、そのアジア系の顔をした女医さんには今でも感謝していると言っています。
凍傷もあり、生産性が落ちたのが幸いしたのか、2年半で日本に送還されました。
引揚げ船から舞鶴の港の松の木が見えたとき、「ああ、日本に帰ってきたんだ」と涙が溢れたそうです。

今でも、なぜか恨み言一つ言わない。
おかげで絶対行けないところに行けたと。
またあの地に行ってみたいと。
強い男です。

今は「半ボケ」で「ヒョロヒョロ」の父ですが、、、
私は尊敬しています。